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大正工業会の誕生 |
第一次世界大戦後(T3/7〜7/11)の恐慌は、大正区(当時西区の一部)に於いても企業の倒産や工場の閉鎖・人員整理等が相次ぎ、これに伴って、各所で労働争議が多発・活発化しました。このような労働争議を根本的に解決するため、当時、工場行政を所管していた警察署を訪れてはいろいろと指導を受けていたが、企業主の方も経営者側としての対応策を協議する組織作りの必要性に迫られていました。
この様な社会情勢の中で、大正10年5月、当時の泉尾警察署の指導を受けて、地元経営者の協議会的組織として結成されたのが「泉尾振興会」であり、これが大正工業会の起源です。
その後、昭和13年には大正工業会と改称、昭和16年には大阪府産業報国会の泉尾支部に組み込まれ、昭和20年8月終戦を迎えました。
昭和21年11月に事業主による親睦団体として、時の総司令部に認めさせ、大正振興倶楽部として再出発、同23年にはこれを発展的に解散して、新たに大正区工業会が結成されました。昭和26年12月8日公益法人として大阪府の認可を得て、「社団法人大正工業会」として法人登記。公益法人制度改革に伴い平成24年4月1日「一般社団法人 大正工業会」に移行しました。 |
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様々な地域活動に貢献 |
泉尾振興会として大正10年発足以来、昭和34年には失業保険事務組合としての認可を取得、同41年には労働災害保険事務組合も併業、会員企業の従業員の福利厚生事務を助成するほか、一時期においては、労働基準協会の事務局や納税協会の大正出張所としての役割を遂行するなど地域の産業振興や労働保険事業にも大きく貢献してきました。
また、工業会の役員が、区内の各種団体の役員に就任するなどして、それぞれの分野において、地域社会の発展に貢献してきました。 |
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これからの大正工業会 |
昭和30年に大阪市工業会連合会が誕生した際には、初代会長に、当時の大正工業会会長駒井英二氏が就任、更には、稗田晃也会長も大阪市工業会連合会会長や大阪府労働保険事務組合連合会の会長を務めるなど、大正区のみならず大阪府・市においても大きな功績を残されました。
昭和32年1月には、会員事業所に在職する次期経営者又は幹部になる者が相集い、会員相互の融和・親睦を図ると共に優良工場の見学・講演会・研修会等を開催するなどして、次期経営者としての資質向上を図ることを目的として、「大正工業若葉会」を組織し、今日も鋭意努力を重ねている所であります。
この様な輝かしい歴史と伝統を引き継ぎ、更なる充実を図ると共に地域行政にも積極的に協力し、地域社会との調和と共生を探り、そして共益の実現に努力して参りたいと考えております。
皆様の更なるご理解とご支援を引き続き宜しくお願いいたします。 |
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大正10年 |
泉尾振興会として発足 |
昭和13年 |
大正工業会に改称 |
昭和16年 |
大阪府産業報国会・泉尾支部に組み入れ |
昭和21年 |
大正振興倶楽部として再出発 |
昭和23年 |
大正区工業会に改称 |
昭和26年 |
公益法人認可・大正工業会として法人登記 |
昭和35年 |
旧会館建設 |
平成20年 |
新会館の竣工 |
平成24年 |
一般社団法人「大正工業会」に移行 |
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